向く方向が“国”ではなく“自分”
政治には“向き”がある。
かつて政治家の矢印は国家や未来を向いていた。
しかしSNS以降、多くの政治家の矢印は“自分”へと折り返している。
引用RTで反論し、法解釈でマウントを取り、条文を出して相手を黙らせ、正誤で勝敗を決める。
そこには国家運営も外交も存在しない。
あるのは自尊心の攻防と、承認欲求の処理だけだ。
こうして政治は“自分の正しさを証明するゲーム”へと小さく畳まれる。
蓮舫が象徴する自己愛の政治
例えば蓮舫。
彼女は、立憲文化を象徴する存在と言ってもいいだろう。
彼女の政治は理念や国益ではなく、ポジションと承認で動く。
女性活躍を掲げながら女性初の首相候補を批判し、ジェンダー平等を唱えながら自らの権威を守る矛盾。
共産党の集会では深々と頭を下げ、皇室の式典では尊大になる非対称。
都知事選と参院選を行き来する節操のなさ。
政策ではなく“席”を求める姿勢は、国家ではなく舞台に立つタレントのそれである。
興味深いのは、蓮舫が元来こういう人物ではなかったらしいという点だ。
ある財界人は「昔の蓮舫はもっと感じが良かった」と語る。
しかし野党議員として“朝から晩まで与党の揚げ足取りばかり考える”生活を続けるうちに、目つきが悪くなった、性格も悪くなってきたという。
そう、人格は制度に適応する。
攻撃は強くなるが、合意は弱くなる。
演出は巧みになるが、信頼は築けない。
組織文化は人を変形させる。
蓮舫は他者への攻撃には強いが、自己が詰問される場面では驚くほど弱い。
国会で西田昌司に反社との交際を詰問された時、あるいは野党時代の片山さつきにスパコン疑惑を詰められたとき、持ち前の勢いは泡のように消えた。
批判の政治は、防御の技法を持たない。
外交や交渉に耐えられる筋肉も育つわけがない。
揚げ足取りのクイズ王・小西洋之
小西洋之は政治を“正解ゲーム”に変換した人物だ。
国会でクイズを出し、条文で殴り、“違法で無効”という定型句で相手を黙らせる。
その全ては政治を困らせる技法へと変質させる。
彼にとって国家を良くするとは、政府を困らせることである。
ネット討論番組「ReHacQ」では石丸伸二に対し、議論ではなく人格から殴りにいった。
「全員落選させてる党首のくせに」と立場でマウントし、石丸が話し始めると即座に「石丸構文には騙されませんよ」と聞く耳を閉じた。
ここに小西という人間の本質がある。
小西は議論をしない。
議論を不能にする。
合意形成ではなく関係破壊。
政治ではなく演出。
国民ではなく自尊心。
この性質は外交と最も相性が悪い。
外交は聞き、合わせ、測り、笑い、飲み、握り、祝う身体性で成立するからだ。
聞かない人間は外交ができない。
だから立憲は世界と繋がれない。
米山はエゴサで世界を縮める
米山隆一は、政治をSNSに最適化した人物だ。
エゴサ(エゴサーチ/自分の名前をインターネットで検索し、世間での評判や評価、反応などを調査する行為)を繰り返し、逐一反論し、引用RTで訂正し、時に法的措置を示唆する。
司法試験にも合格している彼だが、受験した動機を「東大の寮にいたとき法学部のやつがすごく威張っていて、むかついたから」と語る彼の人生は、尊厳の奪還として一貫している。
だが尊厳の回収は政策にはつながらない。
エゴサは大局を扱えない。
引用RTは外交を動かさない。
自尊心は国家と交渉できない。
立憲は政策でなく人格で負けた
立憲民主党の凋落を思想や政策で説明するのは簡単だ。
しかし核心はそこではない。
立憲は政治の評価軸のアップデートに乗れなかった。
国民は政策より人間を見る。
理念より態度、正論より誠実、知識より信頼を見る。
そして人々が政治家を見る目は結局「誰と仲良くできるか」に回帰している。
例えば、石破茂前総理。
彼はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議では、カナダのトルドー首相やマレーシアのアンワル首相など各国の首脳がわざわざ挨拶に来てくれたのに、座ったまま握手をするという横柄な態度だった。
おまけに、各国の首脳陣が立って談笑(ネットワーキング)している中、石破は一人だけ自席に座り、うつむいてスマホを操作し続けていた。
これを国民は目撃した。
不安が走った。
そこに高市早苗新首相の“関係性外交”が登場した。
空母でトランプと跳ね、韓国大統領とドラムを叩き、メローニの誕生日を祝いサンリオキャラクターをプレゼントして笑う。
国民が求めたのは正論ではなく友情、政策ではなく信頼、理念ではなく距離であった。
今や、政治は身体性を求められる時代に入っている。
しかし、立憲はこの趨勢の変化に対してアップデートできなかった。
蓮舫は攻撃に強いが、防御に弱く、相手によって見苦しいほど態度を変える。
小西は聞く耳を持てず、クイズ王の称号から脱却できないままネット民にいじられっぱなし。
同様に米山は、強い自尊心を守ろうとするあまりか、エゴサの鬼と化し、妻の室井佑月からも愛想を尽かされる始末。室井佑月腹膜炎で緊急手術を受け、入院生活を送っていた際、SNSで米山議員に対して「(看病もせず外で喧嘩ばかりしているから)もう離婚してください」と投稿していたことは記憶に新しい。
全て「人としてどうなの?」と首を傾げざるを得ないことばかりだ。
とはいえ、彼ら個人の問題だけとは言い切れない。
「立憲文化」が生んだ当然の帰結であるとも言えるからだ。
立憲は批判を資源にする党であり、批判できる人間を集め、批判しかできない文化を再生産する党になり果てていた。
かような組織文化では、信頼も合意も外交も成立しない。
揚げ足取りに終始し、代案も出さず、出したとしても抽象的なフワッとしたものばかり。
これでは国民は動かない。
結局のところ、立憲は揚げ足取りと自尊心を守ることにエネルギーを費やすあまり、国民を失った。