タヒチに行ったポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャン

ポール・ゴーギャンは、19世紀末にタヒチに移住し、南洋の自然や文化に魅了され、タヒチアンをモチーフにした多くの作品を制作しました。

彼の作品は、多くの人々によって高く評価されています。

なぜ多くの人々に評価されたのでしょうか?

理由の一つとして、彼の作品が印象派やその後の近代美術に影響を与えたことが挙げられます。

ゴーギャンは、彼独自のスタイルを発展させ、抽象的な形式や豊かな色彩を使用することによって、現実的な描写から離れ、感情や想像力を表現する方法を模索しました。彼のスタイルは、後の芸術家たちに大きな影響を与え、特にフランスのフォービスム運動やドイツの表現主義に影響を与えました。

また、ゴーギャンの作品は、当時の西洋美術には見られなかった南洋の自然や文化、特にタヒチアンの文化を描いたものであったため、彼の作品はエキゾチックであり、新鮮な印象を与えました。

また、彼の作品は、西洋の芸術家が描くものとは異なる、タヒチアンの女性たちの強い個性や美しさを表現しており、当時の西洋社会での女性の役割やイメージとも対照的でした。

ゴーギャンの作品が愛されている理由は、独自のスタイルやテーマ、文化的背景から、多くの人々に愛される芸術作品となっているのです。

では、ゴーギャンはなぜタヒチに移り住んだのでしょうか?
画家として成功を収めたにもかかわらず1891年にタヒチに移住しているのです。

その理由は、いくつかの要因が考えられます。

一つは、当時のフランス社会に対する不満だったと考えられています。
ゴーギャンは、フランス社会における芸術や文化の価値観に反発し、自己表現や自由を求めていました。

また、彼は妻子を持ちながら、若い女性との不倫関係を持ち、スキャンダルに巻き込まれていたため、フランスを離れることでこの問題から逃れることも考えていたようです。

もう一つの理由は、タヒチの自然や文化に魅了されたことです。
当時、西洋社会にとって南洋の島々はエキゾチックな存在であり、ゴーギャンも南洋に関する書籍や展示会から多くの情報を得ていました。また、彼は、自然と一体化した生活を送り、原始的な文化を持つ人々と交流し、自己表現の場を得ることを望んでいました。

以上のように、ゴーギャンがタヒチに移住した理由は、フランス社会に対する不満や自己表現の欲求、そして南洋の自然や文化への魅力が組み合わさったもので

ゴーギャンの時代のフランス

では、ゴーギャンが反発した当時のフランス社会はどのようなものだったのでしょうか?

19世紀末のフランス社会においては、芸術や文化の価値観が大きく変化しようとしていました。この時期は、印象派やポスト印象派など、新しい芸術運動が次々と登場し、既存の美術概念に挑戦していました。

印象派は、およそ1870年代に始まった作風で、風景や都市景観、人物などを写実的に描くのではなく、光や色彩を表現することに重点を置きました。また、描かれた対象物は細かく描写せず、小さな筆触で表現されました。印象派の代表的な作家には、モネ、ルノワール、ドガ、シスレーなどがいます。

一方、ポスト印象派は、印象派の芸術手法を受け継ぎつつ、より個性的な表現や色彩の強調など、新しい表現手法を追求しました。ポスト印象派の代表的な作家には、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホ、タンブルなどがいます。

ポスト印象派の中でも、セザンヌは、自然の形態や色彩を分解して再構築する手法を用い、立体的な形態表現や深い空間表現を追求しました。一方、ゴッホは、強い筆触や色彩を用いた感情的な表現や、精神的な主題を描いた作品を制作しました。

ポスト印象派は、印象派の影響を受けながらも、より個性的で表現力豊かな作品を生み出し、近代美術において大きな影響を与えました。

しかし、このような新しい絵画の手法が生まれていながらも、当時のフランス社会の中心には、古典的な美術や文学、音楽などが根強く残っていました。

そのような中で、ゴーギャンは、特に西洋の美術において、写実的な描写や自然主義的な表現に反発しました。彼は、人物や風景などを抽象化し、形や色彩を自由に表現することで、感情や想像力を表現しようとしました。また、彼は、西洋社会における男性と女性の役割分担や道徳観念にも批判的でした。彼の作品に描かれたタヒチアンの女性たちは、西洋社会においては考えられないような強い個性や美しさを表現しており、当時のフランス社会に対する批判的なメッセージを含んでいました。

また、ゴーギャンは、フランス社会における資本主義や産業化にも反対していました。彼は、自然と一体化した生活を送り、手作業で制作した美術作品を追求することで、資本主義や産業化による文化の劣化や人間性の喪失を批判しました。

以上のように、ゴーギャンが反発した当時のフランス社会における芸術や文化の価値観は、古典的な美術や文学、音楽などが根強く残りながら、新しい芸術運動が登場し、既存の美術概念に挑戦していた時期であり、資本主義や産業化による文化の劣化や人間性の喪失を批判する声もあがっていました。

ゴーギャンとゴッホ

さて、ゴーギャンといえば、一時期一緒に暮らしていたゴッホとの関係に触れないわけにはいきません。

ゴーギャンとゴッホは、1888年にアルルで出会いました。

当初は互いに作品に影響を与え合っていましたが、やがてゴッホはゴーギャンの存在に嫉妬し、彼を攻撃するようになります。

1888年12月23日には、二人の口論が激化してゴッホがゴーギャンにナイフを向けた事件が起こりました。その後、ゴッホは自傷行為を繰り返すようになり、翌年には自殺することになります。

ゴッホの死後、ゴーギャンは彼の才能を高く評価し、彼を讃える作品を制作しました。
たとえば、1890年に描かれた「若い聖セバスチャンの死」は、ゴッホの肖像画として描かれた作品です。

また、ゴーギャンは、ゴッホの死後、彼の作品に影響を受けた作品を制作しました。例えば、1892年に描かれた「夜のカフェテラス」は、ゴッホの作品「カフェテラスでの晩餐」に触発されて制作されたとされています。

このように、ゴーギャンとゴッホは、短い期間であったものの、互いに影響を与え合い、芸術的な交流を持っていました。そして、ゴッホの死後も、ゴーギャンは彼の才能を高く評価し、彼の作品に敬意を表していました。

ゴーギャンの今日的意義

最後に、ゴーギャンの絵画や思想における今日的意義は? 21世紀に生きる我々はゴーギャンの作品から何を学ぶべきなのでしょう?

文化の多様性を認めようという風潮が強い今日こそ、ゴーギャンの作品から学ぶべきことがあるのではないかと考えられます。

なぜならゴーギャンの作品には、西洋と非西洋の文化を融合させた独自のスタイルがあるからです。彼はフランス社会に反発して、タヒチやマルキーズ諸島などの南洋文化に魅了され、その文化を自身の芸術表現に取り入れました。これは、異文化間の相互理解や交流の重要性を示すものとして、今日的な意義があります。

また、ゴーギャンの作品には、自然や人間の本質に対する探究が見られます。彼は、西洋の文化に対して偽善的であると考え、自然や原始的な文化から真実を見出そうとしました。このような姿勢は、現代社会においても、自然や人間のあり方に対する問いかけや探究を促すものとして重要です。

さらに、ゴーギャンは女性の自立や性の自由を主張していたことでも知られています。
彼は、自身の作品において女性を自由で強い存在として描き、女性の社会的地位向上に寄与しました。現代社会においても、女性の権利や平等に対する取り組みが重要視されており、ゴーギャンの思想は現代社会においても意義があります。

以上のように、ゴーギャンの絵画や思想には、異文化間の相互理解、自然や人間の本質に対する探究、女性の権利や平等に対する取り組みなど、現代社会においても重要なテーマが含まれています。

我々は、彼の作品や思想から、これらのテーマについて再考し、新たな視点を得ることができるでしょう。