危険な加工食品 やれば出来る呪い

危ない加工食品

食べてはいけない、とまでは言い切れないが、できれば避けたい加工食品はいくつかある。代表的なものを三つ挙げておく。

ひとつは「とろけるチーズ」だ。製品によっては、植物油脂が多く使用されている。植物油脂自体に問題があるわけではないが、その一部にはトランス脂肪酸を多く含むものがある。トランス脂肪酸は、LDLコレステロール、いわゆる悪玉コレステロールを増やすとされ、心血管疾患のリスクを高める可能性が指摘されている。

次に「食パン」である。多くの市販の食パンには、イーストフードと呼ばれる添加物が含まれている。中でも塩化アンモニウムはその一種であり、パンの発酵を助ける目的で使用されている。塩化アンモニウム自体は食品添加物として安全性が認められているが、摂取を控えたいと考える人も少なくない。

最後は「ソーセージ」だ。発色剤として使用される硝酸ナトリウムが問題視されている。これは、食中毒の原因となるボツリヌス菌の繁殖を抑えるために使用されるものであり、保存性や見た目の改善には一定の効果がある。しかし、体内でアミンと結合した場合、発がん性のあるニトロソアミンという物質が生成される可能性があるとされている。

日常的に口にする食品だからこそ、その成分について知っておいて損はない。気にしすぎる必要はないが、知識を持ったうえで選択することは、健康に対するひとつの態度と言えるだろう。

「やれば出来る」の呪い

「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」という言葉がある。
どこか残酷だが、的を射ている表現だ。

さて、世の中には「ここまでの人」がいる。
ある時点でエネルギーを使い果たし、あるいは運や実力を使い果たし、その後は右肩上がりの上昇曲線を描けず、平行線か下降線をたどる人。特に子供時代にその傾向が表れることも少なくない。

たとえば、中学受験で一流の進学校に合格した子供。親や親族は大喜びし、将来は安泰だ、東大も夢ではないと期待を膨らませる。しかし、その後がパッとしないケースも少なくない。小学校6年生の2月、受験のために全エネルギーを注ぎ込み、合格を勝ち取ったものの、その後は学力が伸び悩む。
ふた昔前の流行語を借りるならば「燃え尽き症候群」というやつかもしれない。

そういう子供は、中学に進学しても周囲の学力についていけず、やる気を失う。
そして、人は簡単に易きに流れるものだが、大体がゲームや動画に熱中するようになる。

そんな子供も、中学生のうちはまだなんとか周囲に食らいついていけるが、高校にエスカレーター進学すると、勉強のレベルがさらに上がり、全くついていけなくなる。

親は焦り、塾や予備校に通わせる。
しかし、それでも成績は上がらない。
本人にやる気がないからだ、と親は嘆く。
もちろん、やる気の問題もあるだろう。
しかし、やる気とは違うエネルギーを使い果たしてしまっているということもある。

それでも周囲は期待を捨てない。
なにしろ進学校に通っているから「地頭は良いはず」「やればできるはず」と信じたがる。

特に塾や予備校はこうした言葉を巧みに利用する。
「◯◯君は△△高校にも通っているくらいですから、地頭はいいはずです。やる気さえ出せば必ず合格しますよ」。
親もそれを信じ、追加の学費を払い続ける。
夏期講習、冬期講習、合宿、直前対策講座。次第にオプション料金が積み重なっていく。

しかし、成績は上がらない。
「地頭はいいはずだ」と言われ続ける本人は、気づけば三浪目。年齢は21。
小学校6年生で合格を勝ち取った頃からすでに10年近くが経過している。

あのとき一瞬だけ発揮された実力は、いまや色褪せ、誰もが信じた「やればできる」は、単なる空虚な言葉に変わってしまっている。

それでも塾や予備校は言う。
「彼は日本でトップレベルの△△高校を出ているんですから、大丈夫です。もう一年頑張れば」。
親は再び高額な学費を払う。
そしてその間にも時間は流れ、周囲が信じる「地頭はいいはず」という幻想、いや呪縛の中で、本人は何もできないまま年を重ねていく。

日本各地の予備校には、こうした「地頭良いはず」なのに「学力低迷」状態を続ける浪人生が必ず1人か2人はいるものだ。

周囲の大人たちは、本人の実力を信じようとし、信じさせようとし、コンコルド効果とでもいうべき症候群なのだろうか、言い方悪いが「ここまで応援し続けたんだから(ここまで学費を払い続けたんだから)」と「損切り」出来ずに、我が子の地頭の良さが息を吹き返すことを信じ続ける。

しかし、当の本人の「目」を見れば、そしてどこか漂う「抜け殻」のような佇まいを見れば、誰しもがわかろうものだ。ああ、この子は人生の前半戦でエネルギーを使い果たしてしまったのだ、と。

自動車や自転車のタイヤ、ゴムホース、輪ゴム、ゴム手袋は、長期間使用しないとひび割れたり硬化したりする。リチウムイオンバッテリーは放置すれば劣化し、インクやトナーも乾燥して詰まる。人間もまた同じだ。適切な環境と負荷が与えられなければ、じわじわと劣化し、気づけば手遅れになることもある。

人間の能力も、使わなければ衰える。そして、取り返そうとしても取り返せない地点をとうに過ぎていることもある。そんなとき、「地頭はいいはず」という言葉が呪いのように本人にまとわりつき、その呪縛の中でエネルギーを使い果たしてしまった若者たちは意外に多い。

エネルギーは無限ではない。ある時点で一度に使い果たしてしまえば、その後はただ枯渇し、立ち尽くすことになる。そして、「やればできる」という言葉が、もはや救いではなく重荷に変わるのだ。この重荷を解放してあげられるのは、親しかいない。

特に優しく思いやりのある子どもほど、学費を払い続けてくれた親への負い目から、自ら重荷を外そうとしない。しかし、その重荷を背負い続けたままでは、立ち止まったままの未来しか待っていない。親は、子どもを信じ、時には「休んでもいいんだよ」と声をかけることが、本当の救いとなる。

エヴァンゲリオンのシンジ君の「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」ではない。
「逃げたければ、逃げたっていいんだよ。そんなあなたは卑怯者ではない。よく頑張った」
この一言が子供にとって大きな救いになることだったあるのだ。