スパイ・ゾルゲ
実在した「スパイ」といえば、ゾルゲという名前が真っ先に挙げられることが多いのですが、いったい彼はどのような人物だったのでしょう?
リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)は、20世紀前半に活躍したドイツのスパイで、日本での活動が有名です。
彼は1930年代半ばから第二次世界大戦前まで、ドイツ・ソビエト連邦両方の情報機関に所属し、日本でスパイ活動を行いました。
ゾルゲは、1930年代半ばに東京に移り、ドイツの大使館に勤務しながら、日本政府や軍の情報をソ連に提供していました。また、彼は当時日本とドイツが同盟を結んでいたことを利用し、ドイツ政府と日本政府との間の情報交換にも関与しました。
ゾルゲは、ソ連に情報を提供するために、日本人のスパイや外交官を使いました。彼は、日本軍がソ連に対して攻撃を仕掛ける予定であることを知り、この情報をソ連に伝えました。これは、独ソ戦争に先立つ1941年のバルバロッサ作戦の計画に関する情報としてソ連に提供され、ソ連にとって重要な戦略的情報となりました。
しかし、ゾルゲは日本政府に逮捕され、1944年に処刑されました。
彼は、スパイとしての功績に対して多くの称賛を受け、後世においても彼のスパイ活動は高く評価され、処刑された日本にある彼の墓に訪れる人もこの時代になってもまだいるそうです。
ゾルゲの功績
ゾルゲがソ連にもたらした情報で有名なものは何でしょう?
最も有名なものは、ドイツ軍がソ連に対して攻撃を開始する予定であることを知らせた情報です。この情報は、1941年6月22日に発生した独ソ戦争の開始前に、ソ連に提供されました。
この情報により、ソ連はドイツ軍の侵攻に備えることができました。その後、この情報は、ソ連がモスクワ防衛戦で勝利する上で重要な役割を果たしたとされています。
また、ゾルゲは、日本政府や軍の機密情報をソ連に提供し、ソ連がアジア地域における外交政策を立案する上で重要な情報源となりました。具体的には、日本の対ソ軍事作戦計画や、日本がアメリカとの戦争を開始する可能性があることなどが挙げられます。
これらの情報は、ソ連にとって極めて重要であったため、ゾルゲの活動はソ連政府にとって非常に貴重であったとされています。
バレた理由
ゾルゲはなぜ日本でスパイであることがバレたのでしょうか?
ゾルゲが日本でスパイであることがバレたのは、彼が送った暗号文が日本側に解読されたためです。
1938年、日本の情報機関は、ゾルゲが送信した暗号文の解読に成功し、ゾルゲが日本でのスパイ活動を行っていることを突き止めました。
そして、ゾルゲは逮捕されます。
彼を逮捕したのは、東京警視庁特高課(特別高等警察)の捜査員です。特別高等警察は、ゾルゲとその仲間たちのスパイ活動を長期間にわたって追跡し、最終的に逮捕に至りました。
逮捕の理由としては、日本政府がゾルゲのスパイ活動に対する疑惑を抱いており、暗号文の解読によってそれが確信に変わったことが挙げられます。
ゾルゲは逮捕後に激しい拷問を受けました。
日本当局がおこなった具体的な拷問の手段は、電気ショック、水責め、睡眠剥奪、拷問台に縛り付けるなど、非常に過酷なもので、これらの手段を用いて当局はゾルゲに自白を強要しました。
特に、電気ショックは、ゾルゲの拷問において最も多用された手段の1つでした。電極を身体に取り付け、強制的に電流を流すことで、痛みや苦痛を与え、精神的に追い詰めることができます。また、水責めでは、被拷問者を頭から水の入ったタンクに入れ、窒息状態に追い込んで苦痛を与えるという方法が用いられました。
これらの拷問は、ゾルゲに深い心理的外傷を与え、彼の自白を引き出すことに成功、ゾルゲも自らの行動について認めざるを得なくなったとも言われています。
そして、1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴され、一審によって刑が確定し、ゾルゲの死刑判決が下されました。同じく死刑が決まった尾崎とともに巣鴨拘置所に拘留され、1944年11月7日のロシア革命記念日に巣鴨拘置所で死刑が執行されました。
なせバレなかったのか?
とはいえ、ゾルゲは長期間日本でスパイ活動を行いつづけ、日本の情報機関が暗号を解読するまでは、彼がスパイであることはなかなかバレませんでした。
彼がスパイであることを知った人は「まさかあの人がスパイだったとは」と驚いた人が多かったという逸話もあります。
では、なぜゾルゲは長期間スパイであることがバレなかったのでしょうか?
ゾルゲが長期間スパイ活動を行えた理由の一つには、彼が非常に巧妙に情報を収集し、秘密に保っていたことが挙げられます。
彼は、情報収集のために日本人のスパイや外交官を使い、また、自分自身が親密な関係を築いた人々を通じて情報を集めました。彼はまた、情報を収集する際には、人々を利用することに長けており、相手の利益や願望を利用して自分自身の目的を達成することができました。
さらに、ゾルゲは、自分がスパイであることを疑わせないように振る舞っていたと考えられます。彼は、ドイツ大使館の宴会や社交パーティーに参加し、外交官としての役割を果たす一方で、秘密裏に情報を収集していました。彼はまた、外交官としての地位を利用し、ドイツ政府と日本政府の間で情報交換を行うこともできました。
最後に、ゾルゲが長期間スパイであることがバレなかった理由の一つには、当時の情報機関の不備や不注意もあったと考えられます。彼がスパイであることを疑う人々もいたにもかかわらず、彼の活動が明るみに出ることはありませんでした。
ロシアでの評価
日本にとっては国家を脅かす犯罪者であったゾルゲですが、ではロシア(旧ソビエト連邦)での評価はどのようなものなのでしょう?
彼は旧ソ連においては、スパイとしての功績から英雄視されています。
本国の歴史書やメディアでは、ゾルゲは「革命的な国際主義者」として紹介され、日本とドイツのファシズムに対する戦いで勇敢な戦士であると評価されています。また、彼はソ連が日本との戦争に備えるために必要な情報を提供し、ソ連の国益に貢献したとされています。
一方で、ゾルゲが逮捕された当時のソ連政府の公式声明では、彼は「反革命的な工作員」であり、「ドイツのファシスト政権と連携していた」と非難されています。しかし、彼の死後、スターリン政権下のソ連では、ゾルゲは「反ファシスト戦争の英雄」として再評価されました。
また、ゾルゲはソ連での活動中に多くの友人や同志を得たことも知られており、彼らの一部は彼の死後も彼を称える著作を出したり、彼を顕彰する記念碑を建てたりしています。
この記念碑は、ロシアにいくつか存在しており、代表的なものは、モスクワにある「ゾルゲの墓」と呼ばれる場所でしょう。ここには、ゾルゲが埋葬されている墓のほか、彼を顕彰する記念碑や、彼がスパイ活動を行っていた建物のレプリカが展示されています。
また、サンクトペテルブルクにある「ゾルゲの家」と呼ばれる建物もゾルゲを顕彰する場所のひとつです。ここには、ゾルゲが住んでいた部屋や、彼が使用していた通信機器などが展示されています。
他にも、モスクワやサンクトペテルブルクなどの様々な場所に、ゾルゲを顕彰する記念碑や銅像が存在しています。ただし、これらの記念碑や施設は、ソ連時代に作られたものであり、現在のロシア政府がゾルゲをどのように評価しているかは不明です。
現代世界のスパイ事情
現代の世界において、ゾルゲに匹敵するスパイはいるのでしょうか?
現代の情報社会においては、スパイ活動はますます高度化し、複雑化しています。そのため、ゾルゲに匹敵するスパイが存在する可能性は十分にあります。しかし、スパイの活動内容や手法は秘密裏に行われるため、具体的に誰がどの程度のスパイ活動を行っているかを正確に把握することは非常に困難です。
また、現代のスパイ活動は、国家レベルで行われることが多く、情報戦争やサイバー攻撃など、テクノロジーを駆使した高度な技術力が必要とされることがあります。そのため、スパイ活動に関する情報を収集・分析する専門家や、対スパイ対策を行う組織も重要な存在となっています。
また、中国政府は最近「ハニー・トラップ」を多用しているという報道もあります。
「ハニー・トラップ」とは、女性を使って男性を誘惑し、情報や機密を盗むスパイ活動の一形態で、ハニー・トラップを仕掛けて、外国人政府高官や企業幹部、研究者などから機密情報を入手することが多いことが最近では知られています。ハニー・トラップにかかった男性が、自らの権限や地位を利用して情報を提供することがあるため、有益な情報を入手しやすいとされています。
ハニー・トラップにかける女性は、特に外国人男性に対して、中国語や英語を話す美女を選ぶことが多いです。中国政府がスパイ活動に関与する女性は、政府や軍隊に属する女性スパイだけでなく、民間の女性を使うこともあります。彼女らは、「蜜罐」と呼ばれ、外交官や商社の社員などとして潜り込んでいます。
ハニー・トラップにかかった男性が中国政府にとって有益な情報を提供する場合、報酬として金銭や機密情報、ビザやビジネスチャンスなどを与えることがあると言われています。また、男性がハニー・トラップにかかったことがばれた場合、中国政府は情報を公開し、男性を恥辱に陥れることで、情報収集のための脅迫材料とすることもあるとされています。
ハニー・トラップは、情報戦争における中国政府の重要なスパイ活動の一部であると考えられています。西側諸国では、ハニー・トラップにかかることを避けるため、セキュリティ教育や行動規範などが普及しています。
このように、現代においても、国際情勢や軍事・経済などに関する情報が、スパイにとって重要な情報となっており、ゾルゲのような個人の力量ではなく、情報技術を駆使したり、組織的なスパイ活動へと形を変え、より高度なスパイ活動が行われているのです。