人口減少時代の地方をどう再設計するか

地方衰退の現実と医師偏在

東北の中でも、例えば 岩手県 や 青森県、そして 福島県 は、少子高齢化・若年流出・交通インフラの制約などが重なり、ふるさとに戻る若者が少ないという深刻な構造を抱えている。

同様に、 石川県の能登地域も、医師数や医療アクセスの観点から「偏在」が顕著であり、地域医療だけでなく、地域社会全体の持続可能性が問われている。

そのような地域では、よく言われる「医師さえ増やせば解決する」「人さえ定住させれば地域は蘇る」という発想がまま採られがちだ。

しかし、実態はそれほど単純ではない。

人口が減少し、地域の中での産業も縮小し、住民の世代構成も偏っている。

だからこそ、単に「人を増やす」ことを目指す戦略は、かえって地域の空気・文化・価値観と衝突を起こし、いわば逆説的に地域を傷つけてしまうおそれがある。

無理な定住誘致の落とし穴

若者に「田舎暮らしをしてみよう」、「地域貢献できる職を探そう」と呼びかけ、移住支援金や空き家改修補助、地域おこし協力隊などの制度を導入する自治体も少なくないようだ。

しかし、そこには落とし穴がある。

例えば、一部で語られるように、都会的な価値観を抱えた若者が「田舎ならば何とかなる」、「地域になじめば自分も成長できる」と飛び込んだものの、地域の慣習・コミュニティ構造・住民間の暗黙のネットワークに馴染めず、摩擦が生まれ、結果として地域に拒絶されたり、孤立してしまったりする。

まさに 『ワルツを踊ろう』(著:中山七里)の物語が典型的だ。都会で生活をしていた主人公が故郷に戻るが、地域の閉鎖性や住民の凝り固まった習慣との摩擦で崩壊していく様をリアル、かつグロテスクに寓話的に描かれている。

このようなフィクションが示すのは、移住や定住というのは“住めば終わり”の話ではなく、むしろ地域との「関係構築」が伴わなければ、地域側にも移住側にも大きな負荷がかかるということである。したがって、人口を増やすこと自体が目的化してしまうと、地域の文化・コミュニティ・自然環境をむしろ損ねるリスクがある。

「放置ではなく見守る」という選択

だからこそ近年、社会学・地域研究・文化人類学の分野では、「すべての地域を人で満たす」という拡大モデルではなく、むしろ「人が減っても、そのまま消えゆくのを放置せず、見守る」「縮退を前提とした関係設計を行う」という考え方がある。

この「放置」や「縮退」を肯定的に捉える思想の背景には、中山間地域が維持不能という現実がある。

かつての日本の集落構造は、農林水産業を前提に人が定住して初めて成り立っていた。しかし、少子高齢化・産業構造の変化・高速交通網の発達によって、生活拠点としての合理性を失った地域が増加した。結果として、「人を呼び戻す」よりも「人がいなくても崩壊しない仕組みを考える」方向へ、思想と政策の両面でシフトが起きている。

哲学者の鷲田清一や思想家の内田樹が提唱する「撤退の思想」も、その流れに連なる。

彼らは、すべての場所を維持しようとする発想自体が人間中心的であり、むしろ「人が引くことで自然を取り戻す」という行為こそ、環境倫理的に重要だと指摘している。

人間活動によって過剰に拡大した生活圏から一歩退くことで、自然と人間との関係を再調整する――この思想は、単なる衰退論ではなく、新しい文明論的転換として語られている。

また、文化人類学の立場からは、宮本常一や中沢新一が、村や共同体の消滅を「悲劇」としてではなく、「自然と人間の関係性が次の段階へと移行する現象」として捉えている。

宮本は『忘れられた日本人』の中で、消えゆく村々に「人間の生と自然の連続性」を見出し、中沢は『森のバロック』で、近代社会が切り捨ててきた「自然との対話」を再評価した。

両者に共通するのは、限界集落の消滅を終わりではなく、「自然と人の新しい距離感を模索する転換点」と見る視点である。

さらに、こうした「放置=無策ではない」という考え方は、近年の都市計画や地域政策にも応用されている。英語圏では「コントロールド・シュリンケージ(controlled shrinkage)」、日本語では「選択的維持」や「縮退計画」と呼ばれ、欧州ではすでに実践段階に入っている。

代表的なのが、ドイツのシュリンキング・シティ政策だ。人口減少都市において無理に定住促進を行わず、老朽化したインフラを段階的に撤去・統合し、その跡地を自然再生エリアや公園に転用する。ライプツィヒやデッサウではこの手法によって都市コストを抑制しつつ、緑地の拡大や地域コミュニティの再生に成功したと報告されている。

こうした海外の事例や思想の蓄積は、日本の過疎地域をめぐる議論にも少しずつ浸透しつつある。縮退を「敗北」ではなく「再編」として受け止め、人口減少を前提に「持続可能な撤退」を設計すること。それが、地方再生における次の段階、“拡大から調律へ”の時代に求められる視点である。

例えば、過疎地域における「見守り活動」についての研究では、住民/自治会/民生委員らによる定期的見守りが、地域機能の維持において重要であると指摘されている。

また、「人口減少下の多自然地域の魅力づくりの研究」では、地域の自然・環境・文化という“資源”を維持しながら、無理に人口を回復させるのではなく「暮らし続けられる地域のあり方」を住民自身が問い直すべきだという論点が示されている。

こうした考え方では、地域が「誰が来てもよい」「多少人が減っても構わない」という余白を残しつつ、最低限のインフラやコミュニティを“見守り”続ける設計がなされる。

つまり「放置」ではなく「見守る」という選択であり、それは諦めでも撤退でもなく、成熟した地域との共存である。

観光を入口にした“点”の関係づくり

では、財源や人の流れをどう作るか。

ここで有効なのが、定住を一気に目指すのではなく、まず「点」で関係をつくることだ。

例えば、先ほど挙げた岩手・青森・福島・能登といった地域であれば、その自然・文化・風景をアピールし、観光型のアクセスを増やす。ドラマや映画の舞台にしたり、YouTubeやインフルエンサーによる発信を活用したりすることで、「訪れたい」「関わってみたい」という“関係人口”を増やす。

訪問客が地域にお金を落としつつ、リピートし、顔馴染みになり、地域住民との信頼関係が少しずつ形成される。

その延長線上で、定住や地域貢献の可能性が開ける。

これこそ「観光=お金を落として終わり」の発想を超え、「観光を通じて関係を育てる装置」に変えるモデルである。

地域を“面”として均一に活性化しようとするとコストも大きく、失敗しやすい。

だが“点”として戦略的に関係構築を行えば、持続可能な地域再生への道筋を描きやすい。

地元を守るための着地点再設計

最後に、地域再生を考えるとき、肝心なのは「守るべきもの」の再定義である。

人口を増やすこと=地域の成功、という発想はもはや通用しない。

例えば岩手・青森・福島・能登など、人口減少・医師不足・高齢化が進む地域では、まず「何を守るか」「どこまで守るか」を見定める必要がある。

地域の自然環境、文化・伝統、住民ネットワーク、地域の風景、そして“関係性”がその守るべきものの中核である。

行政的には、「すべての地域を均等に維持する」のではなく、「残す地域」「見守る地域」「縮退を許容する地域」を明確に分け、インフラやサービスも無理なく配置すべきである。つまり、放置ではなく見守り、適切なリソースを集中させることで、地域が持つ本来の豊かさを再び呼び出す──これが、地域の未来を考える上での現実かつ希望のある着地点である。

以上のように、人口減少・医師偏在など地方の現実に直面する地域だからこそ、定住だけを目的とせず、まずは「点」の関係づくりを通じた観光・関係人口戦略と、「見守る」設計をもって、地域の豊かさを守り、育てる道を描いていくべきだと考える。

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