北海道江別のパキスタン人集住と日本社会の境界

クルド人問題の次に見える風景

埼玉県川口市のクルド人問題は、外国人労働力と地域社会の摩擦を象徴する事例として知られるようになった。

彼らは難民認定を求めながらも不安定な在留資格に置かれ、合法的な就労が難しい状況の中で、解体業という肉体労働に従事している。労働搾取や違法な派遣構造が問題視される一方で、地域経済を支えているのもまた彼らである。

宗教・文化の違いからくる生活摩擦、SNSを通じた誤情報、制度の隙間に潜むブローカー。それらが絡み合い、「共生」と「不安」が並存する都市像を形づくっている。

では、首都圏から遠く離れた北海道ではどうだろう。
江別市という名を挙げると、同じ構造が別の形で現れていることに気づく。

江別市に広がる中古車ビジネスの街並み

札幌近郊の江別市では、ここ数年でパキスタン国籍の居住者が急増している。
2010年代半ばに数十人規模だった人口は、現在では二百人を超えるとされる。

角山地区を中心に、広い土地を活用した中古車輸出業が広がっており、ヤードや倉庫が郊外の風景に点在している。

彼らは全国のオークション会場から中古車を仕入れ、整備や解体を行い、中東や東南アジアに輸出する。安価な土地、札幌圏へのアクセス、港湾への輸送の容易さ。かような条件が重なり、江別は自然発生的に「車の街」へと変貌していった。

中古車輸出は合法的なビジネスであり、環境的にも「再利用産業」として一定の評価を受けている。しかし、その裏側では土地利用や建築許可のグレーゾーンが存在し、無許可施設や廃棄物処理をめぐる問題も指摘されている。制度の監督が追いつかないまま、経済と宗教、そして文化が絡み合った新しい生活圏が静かに形成されつつある。

パキスタニの勤勉さと閉鎖性

パキスタン人は総じて家族中心の価値観を持ち、宗教と仕事を結びつけて考える傾向が強い。
長時間労働を厭わず、得た収入を仕送りに充てる者も多い。
仲間意識が強く、同国人ネットワークを頼って雇用や住居を決めることが一般的だ。

しかし、こうした結束は経済的安定をもたらす一方で、外部者には閉鎖的に映る。

SNS上では「日本人が入れない地域がある」といった言説も見られるが、行政や警察はそれを否定している。

治安の悪化が顕著に報じられているわけではない。だが、言葉の壁と宗教的習慣の違いが積み重なることで、心理的な距離が生じていることは確かだ。

祈りの時間に仕事を中断する、食事にハラールを徹底する、女性の外出や接触に慎重である。これらの一つひとつが異文化理解の限界を突きつける。

なぜ江別なのか

なぜ彼らは日本の中でも、気候も習慣も異なる北海道・江別に根を下ろしたのか。

第一に、広い土地を比較的低コストで確保でき、車両を何十台も並べるヤードや簡易倉庫を設けやすいという物理条件がある。

第二に、札幌圏に近く物流人員の確保が容易で、オークション会場や港湾(苫小牧・小樽)への動線が短いという実務上の利便性がある。

さらに、先行して事業を始めた同胞のネットワークが、雇用・住居・仕入れ先・送り出し先までを包括的に仲介し、ブローカーや名義貸しに象徴される「グレーな接合部」が、制度の網目を縫う形でサプライチェーンをつないだ。

結果として、彼らにとって江別は「試行錯誤の末に最適化された地」となり、家族帯同による定着が進んだのだと推測される。

こうして形成された閉じた経済圏と生活圏が、次に語る共生の緊張を孕むことになる。

共生が抱える緊張

行政は多文化共生の名のもとに日本語教育や生活支援を進めているが、文化の深層にある価値観の違いまでは調整できない。

イスラム教徒にとって死者を土に還すことは当然であり、偶像を避け、豚肉や酒を忌避することも宗教上の義務である。
だが日本では火葬が法制度として定められ、宗教的偶像や祭礼が日常に溶け込んでいる。

江別で暮らす彼らが地域に溶け込もうと努力する一方で、信仰を守ることと地域に同化することのあいだには、埋めがたい溝が横たわる。

表面的な共生の裏に、互いの「譲れない領域」が確かに存在しているのだ。

北海道の空に漂う不安

江別市のヤード群を歩くと、エンジン音と礼拝の呼びかけが交錯する。
そこで働く人々は誠実であり、地域経済の一端を担っている(はずだ)。

だが同時に、土地の使われ方、生活習慣、宗教的価値観が日本社会の枠組みと微妙にずれていることも否めない。

川口のクルド人、江別のパキスタン人。場所も産業も違えど、根底にあるのは「人手不足を補う外国人労働力」と「受け入れ体制の脆弱さ」という共通の構造である。

共生とは、理念としては美しいかもしれないが、実際には不安定な均衡の上に成り立つものだ。

北海道の広い空の下、異なる祈りが響き合う。
その響きの中に、日本がこれから向き合うべき問いが潜んでいる。

文化も信仰も異なる人々が、どこまで同じ社会を共有できるのか。
江別の風景は、その答えをまだ示してはいない。

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