神主 禰宜 巫女

職位 神主 禰宜

神主と禰宜(ねぎ)の違いって?

神主も禰宜もどちらも神社に仕える神職ですが、双方ともに重要な役割を担っていますが、職位と役割に違いがあります。

神主は神社全体の責任者として祭祀を司る一方、禰宜は神主の下で祭祀や祈祷などを主に担当します。

以下、職位と役職による違いを記していきます。

神主

神社の神職の総称。古くは神職の最高位でしたが、明治時代以降の神職制度では、宮司、権宮司、禰宜、権禰宜の順に上位となります。

神主の役割は、神社の祭祀を司り、神道の教えを伝え、地域の人々の精神的な支えとなる役割を担います。
神主は、単に宗教的行事を司るだけでなく、神道の教えを伝え、昔から、地域社会のリーダーとして人々の信仰生活を支え、人々の精神的な支えとなる役割を担いつつ文化伝承に貢献してきました。

神主の神社での業務ですが、具体的には以下のような業務を行います。

・日々の祭祀(朝夕の御祈祷、月次祭、例祭など)
・神楽の奉納
・御祈祷や御守の授与
・葬儀や結婚式などの神事
・地域の行事への参加
・神道に関する講話や講演会

次に歴史上特に有名な神主と、その功績や評価をいくつかご紹介します。

藤原定家 (1162-1241)
歌人、公家、日記作者として知られていますが、神主としても活動しました。
神主として、和歌文化と神道の結びつきを深める役割を果たしています。
『古今和歌集』の編纂に携わり、日本の和歌文化の発展に大きく貢献するとともに、自邸を和歌の会所として開放し、多くの歌人を育成した功績があります。
彼が記した日記 『明月記』 は、当時の政治や文化を知る上で貴重な資料です。

卜部兼好 (1273-1332)
現代では、吉田兼好という名前の方が有名かもしれませんが、彼の本名は卜部兼好です。歌人、随筆家、遁世者、神職として知られています。
誰もが学校で習う彼の随筆 『徒然草』 は、日本の古典文学の中でも特に高い評価を得ていますが、 『徒然草』 のみならず、神道に関する著書 『釈神道』 も著し、神道の思想を広めるのに貢献しています。
優れた文章力と洞察力を持つ作家として評価されていますが、神主としても、神道の精神性を広く伝える役割を果たしました。

また、近現代にも神道の普及や改革に貢献した神主も多くいます。
たとえば、明治時代に神道を近代化するために尽力した白鳥常三郎や、神道史の研究者であり、神道神話の体系化に貢献した津守三郎が有名ですね。

禰宜

次に禰宜についてです。
禰宜は宮司に次ぐ位の神職です。

禰宜の役割は、神主の下で、祭祀や祈祷、神楽の奉納などを主に担当します。具体的には、次のような業務を行います。

主な役割は、以下のとおりです。
・神主の補助
・祭儀の準備や進行
・神楽の舞いや太鼓の演奏
・御祈祷や御守の授与
・神道に関する学習
・その他

禰宜は、神社に仕える神職の中でも、神事や祭典を司る重要な役割を担っています。歴史上、多くの有名な禰宜が活躍し、神道の発展に貢献してきました。

補足

もっとも、神主も禰宜も地域によって呼び方が異なります

関東地方では神職のことを一般的に「神主」と呼びますが、関西地方では「禰宜」と呼ぶことが多いです。

神職 女性

ちなみに、近年では女性の神職も増え、禰宜の職務に就く女性も珍しくありません。

しかし、女性の神職に関しては長い道のりの歴史があります。
なぜなら、神職に女性が参入することは、長い歴史の中で大きな課題とされてきました。男社会の強い日本において、神職は男性の役割とされてきたのです。

しかし、近年では女性の活躍が少しずつ広がりつつあります。ここでは、神職における女性の歩みを、時代ごとに詳しく見ていきましょう。

まず古代・中世の時期ですが、この時代は女性は「巫女」として神事に携わっていました。
巫女は神がかりになり、神託を伝えたり、占いを行ったりする役割を担っていました。
神職は男性のみでしたが、巫女は重要な宗教的役割を果たしていました。

近世は、女性の神職への道が閉ざされた時代と言えましょう。
特に江戸時代になると、神職は世襲制が確立され、女性は神職になることが難しくなりました。
女性が神職になることは、「女人禁制」の考えに基づき、タブーとされたからです。

一部の神社では神職の妻や娘が巫女として神事に奉仕することはありましたが、神職としての地位を得ることはほとんどありませんでした。

明治時代になると、神道国家体制の確立を目指し、神職制度が改革されました。
神職の資格は国家によって定められ、試験に合格すれば誰でも神職になることができるようになりました。
しかし、当初は女性が神職試験を受験することすら認められませんでした。

大正時代に入ると、ようやく女性が神職試験を受験できるようになりますが、合格者数は少なく、実際に神職として働く女性はごくわずかでした。

神社本庁や一部の保守的な神社では、女性の神職を認めない姿勢が続いたのです。

戦後の日本ですが、男女平等の理念が浸透し、女性の社会進出が進む中で、神職を目指す女性も少しずつ増えてきました。

1951年には、神社本庁でも女性の神職を正式に認めますが、依然として多くの神社で女性の神職は受け入れられず、差別的な扱いを受けることもありました。

そして、平成・令和の現代。
女性の社会進出がさらに進み、神職を目指す女性も増加しています。
2018年には、神職全体の約7%が女性となり、過去最高の割合を記録しています。

神社本庁や多くの神社でも、女性の神職を積極的に受け入れるようになり、活躍の場が広がっています。
一方で、依然として男性神職が多い神社も多く、昇進や待遇面での男女格差も課題となっています。

神職における女性の活躍は、長い歴史の中で多くの困難を乗り越えながら、少しずつ歩みを進めてきたと言えるでしょう。

近年では着実に増加傾向にあることは確かですが、依然として課題も多く残されています。今後も、女性神職の活躍の場がさらに広がり、神職における男女平等が実現していくことが期待されます。