質問者から攻略対象へ
かつて政治家に噛みつく記者は、世論の代弁者として、ある種の敬意を集めていた。
質問は権力を切る刃物であり、会見は監視の舞台だった。
しかし令和時代の政治コミュニケーションは構造を反転させた。
質問は刃物であるよりも、コンテンツであり、編集素材であり、時に逆手に取られる資源でさえある。
ロートルジャーナリストは、攻める側から攻略される側に回りつつある。
昭和の時代は、質問が武器として機能していたかもしれないが、今やテクノロジーと観客によってそれが更新され、質問権の権威そのものが低下した。
いまや横田一や田原総一朗は、若い世代からは「老害」とみなされている。
この「老害」という言葉に宿る意図は、人格批判よりも、制度の乗り換えに失敗した者への呼称に近いと思われる。
横田一:執念型ジャーナリズムの終端
横田一は、敵を定め、徹底して追い、政治の裏側を暴く執念型のジャーナリズムを体現してきた。
2017年の都知事会見で小池百合子から「排除」発言を引き出した場面は、その鋭さの象徴だ。続く『検証・小池都政』では、築地・豊洲移転や五輪費用を泥臭く掘り返し、“政治を暴く”という昭和のルポの王道を踏み抜いた。
しかし時代は令和。昭和・平成的取材手法は通用しない。
いま横田は、複数の政治家から返り討ちに遭い、攻略されている。ネット民からは、おもちゃにされている感すらある。
昭和の無双が、令和の戦場では冷笑の対象に転じる。執念は健在だが、執念を武器化できる時代ではなくなったのである。
小池百合子:態度で“無効化”する戦術
小池百合子は、横田を言葉より態度で攻略する。
築地移転を巡る「築地は守る、豊洲は活かす」との公約に対し、横田は「結局守っていない」と繰り返し詰めた。小池は質問が始まった瞬間、わざと天井を仰ぎ、資料をめくり、「また彼か」という演技を入れる。
横田の問いに対しては「その解釈は横田さん独特ですね」「以前も答えましたが」と返し、質問を「的外れな私論」に格下げする。会見で指名されなかった横田が声を張れば、小池は完全な無表情で「次の方」と事務局に促す。質問が厳しくても「貴重なご意見として承ります」と締めれば、それは質問ではなく「感想」でしかない。
小池の戦術は、論点で勝つのではなく、質問の存在価値を下げるところにある。
名前を呼ばず、溜息を混ぜ、短い単文で切る。周囲の空気が味方になる。横田の執念は、小池の「無効化の態度」によって威力を失う。
石丸伸二:前提破壊と可視化による“晒し”戦術
小池と都知事選で争った石丸伸二。彼は、言葉で攻略する。
質問の前提を丁寧に分解し、何が誤解で、どこが飛躍で、どこが悪意かを観衆に可視化する。
質問者の目的が「真理の探索」ではなく「あら探し」や「揚げ足取り」であることが露呈すると、観衆は議論ではなく質問者の能力を採点し始める。
結果として石丸は、質問者を論理ではなく「無能」として晒す。
審判は政治家ではなく観衆であり、判決は会場ではなくネット上で下る。多くの人がそのシーンを短い切り抜き動画で目撃するため、質問の成否は数秒の編集に回収される。
昭和の会見が政治家と記者の対決だったのに対し、令和の会見は政治家と観衆の対話なのだ。石丸の場合は、対横田というよりも、安芸高田市長時代、定例記者会見などで激しい議論中国新聞の胡子洋(えびすひろし)記者や、竹川滋(たけかわしげる)次長(当時)とのやり取りに顕著だったといえる。
昭和型記者の執念は、石丸に攻略され、「偏向マスゴミの象徴」晒され、切り抜き動画が拡散されることにより、これもまたネット民にエンタメとして消費された。
小野田紀美:目的暴露による“観衆への晒し”
小野田紀美もまた、質問者を言葉で丸裸にする。
論理で殴るより前に、質問が誰に向けられ、何のために投げられ、どの程度稚拙かを観衆に示す。お門違いな質問には「それは私への質問ではありませんよね(所轄外です)」と淡々と指摘し、悪意ある誘導には“質問意図”そのものを暴露して返す。
声は強くなくとも、表情や間の取り方によって「この人は何をやっているのか」を観衆に伝える。質問者の頭の悪さ、目的の卑しさ、前提の稚拙さを、政治論ではなく「可視化」する技法である。
石丸と同系だが、相手を矮小化させる見せ方は小池的でもある。しかし、小野田の方が表情と冷笑の切れ味が鋭い。
小池、石丸、小野田の3人はともに、横田的“泥臭く追う”手法を正面から受け止めない。前提を潰し、観衆に晒し、質問の権威を削るのである。
戦術変われば、老害一直線
ひろゆきや成田悠輔も、同じ戦場の外側にいる“インフルエンサー”として旧来の司会者や記者を無力化した。
そもそも論から再構築し、問題の前提把握の稚拙さを浮き彫りにする。
ここに共通するのは、政治家・論者・観衆・インターネットが結託して、昭和の質問権の権威を脱構築したという事実である。
メディアや報道のあり方は、送り手と受け手のテクノロジーによって変化してきた。YouTube、SNS、切り抜き、コメント欄、字幕編集。これらは政治の言葉を刷新しただけでなく、質問の武器仕様を根本から変えた。
昭和の無双も、武器や相手の戦術が変われば脆い。
執念は尊い。しかし執念は制度が支えて初めて武器になる。
制度が変わったあと、執念だけを持つ者は老害と呼ばれる。
攻略される老害ジャーナリストの姿は、時代の更新に置いていかれた武器の末路である。
今後のジャーナリズムは、政治を監視するだけでなく、政治の“攻略法”そのものを観察する地点から再開されるだろう。
